Mの独り言

アラカン女性が感じる日常です。

毒母。

湊かなえさんの

「ポイズンドーター・ホーリーマザー」の感想。

いわゆる毒母を扱った作品。

 

う~ん、私はこの作品(短編2つで一つになっている)

危ない考え方だと思う。

世間で毒母という言葉が広まって何年くらいたつのだろうか。

私の育った家庭も母親が一人君臨しているような家で

私は、私の母は十分に毒母だと思う。

そしてまた、私もかつては子供に対して毒母だったと自覚している。

 

どうして私が毒母だったかと言えば

自分の母親を毒母と憎みつつも、その感情に蓋をして

そんな感情は無いものとして押し殺していたから。

そしてそれはなぜかと言えば

ただただ、世間は自分の母親が嫌いだという娘を許さなかったからだ。

自分は世間では絶対に持ってはならない感情を持っている。

それがどれほど私を傷つけてきただろう。

どれほどの罪悪感に苦しんできただろう。

一生懸命に蓋をして無いものとしても

心の奥底から絶対に無くならない感情。

私はそれを持っていることを隠して、自分に嘘をついてずっと生きていたが

それが、次の得体のしれない怒りを生み出す。

怒りが根底にあるから、気が付けば私も毒母になっていた。

 

どうやって抜け出したかと言えば

それは、きっぱりと毒母から逃げた出したからだ。

丁寧に書けば、カウンセリングを受ける途中で

自分のそういう感情を隠せなくなって

カウンセラーから「逃げていいのですよ」と言ってもらえたからだ。

逃げる罪悪感はやがて消える、とも言われた。

その時は信じられなかったけれど

逃げて、平穏な時間が多くなって、そうすると自分の怒りも減っていって

やがて自分と子供の関係にも希望が見えてくるころには

もう、罪悪感なんてどうでもよくなっていたのが事実だ。

今でも、私を非難する人はいる。

いいのよ、それで。

非難したい人はすればいい。

私は十分に卑怯だとわかっている。

 

そこで、なぜ湊さんの本が危険かと言うと。

 

湊さんは、とても極端な虐待の例を挙げている。

それに比べれば、きちんと生活を保障した母親を毒母なんていうのは

おかしいのではないか?と読める。

子供を一生懸命に育てた母には母なりの事情、

受ける娘には娘の事情、大人になれば分かり合えるはずだ・・・と

私には書かれているようにみえる。

 

でもね。

それは、正しい愛情を受けて育った人が考えることで

一番危険なんだよね。こういう見方が一番、当事者には辛い。

だって、ハラスメントの基準は受けた側の感じ方でしょ。

毒母という娘達は、ハラスメントを受けながら

それを嫌だと言えなかったのだよ。

イヤだと声を上げて、それを「そうだったの?」と

自分の行動を振り返ってくれる親ならそれでいいよ。

それから話し合えばいい。

わかりあえるかもしれない。

でも、全然振り返らない親もいるからね。

自分の主張しかしない親もいるからね。

そんな時でも、立場が逆転した子供は親を思いやらないといけないの?

そんなことない。

どんなことでも、ハラスメントを受けた側が主張していいのだ。

ハラスメントの内容に重い軽いは無いと思う。

もしも、自分の育った家庭に疑問を持つ人がいて

湊さんの本を読んで、でもまぁ私はこれほどの被害ではないし・・・

と再び、自分の感情に蓋をしてしまうことが怖い。

 

本当にいるのだ。

世間では(世間って一体なんだ?とも思うけれど)想像できないような

支配をしてくる親って。

子供には経済力がない。

どんなに困っても、家から出ることはできない。

そこにしか居場所はない。

それを想像してほしい。

言えない子供たちがいたこと。

それを、大したことではない、となかったことにしないでほしい。

どうか自由になって、怒りの少ない時間を生きてほしい。

そのためにも、毒母を語る人を非難しないでほしい。

 

誰にでも事情はある。

時代背景もあるだろう。

でも、それをどう解決するかは個々に委ねられるべきだ。

一つの正解があるものではない。

そういう事柄に、湊さんのような影響力のある作家さんが

簡単な答えを出してほしくはなかったと痛切に思う。