Mの独り言

アラカン女性が感じる日常です。

夏休みの宿題。

今朝の新聞で夏休みの宿題を

最後まで残す派?コツコツこなす派?というアンケートが

載っていた。

コツコツ派が7割といった感じ。

 

私はコツコツ派というか

最初の1週間で終わる派だった。

ドリルなどは、夏休み前にもらった瞬間から書き込んでいた。

小学校の頃の勉強は、単純にクイズのようで楽しかったから。

 

アンケートを見ると、最後に残す人の思いでとして

親が手伝ってくれた・・・と書かれている。

みな、優しい親だったのね。

私の両親は(特に母親は)全く、手伝ってくれなかった。

どころか、私にどんな宿題が出ているかすら興味もなかったし

絵を描いていて色使いがおかしいとか、デッサンが狂ってるとか批判はされても

手伝おうという姿勢は一度もなかった。

あぁ、父親は小学校低学年の頃は植物採集を一緒にしたり

木材を使った工作を一緒にした記憶はあるな。

だから、厳しかったのは母親だったんだろう。

とにかく、宿題を手伝うなんていう家ではなかった。

 

だから、一人でこなすしかなかった。

最初の一週間で宿題をした後の夏休みをどう過ごしていたのか。

これまた、家族旅行をする家でもなく、子供と一緒に遊ぼうという家でもなく

ただただ、だらりんと一人、過ごしていた。

漫画もアニメも禁止されていたから

父親の本棚から本を持ってきては、意味もわからずに読んでいた。

学校は好きではなかたけれど(集団行動が嫌いだった)

かといって、ただ暑い夏を家でだらりんと過ごすことも

勿論楽しくはなかった。

そういえば、小学校5年生の夏休みは

東京に住む叔母の家に3週間も預けられた。

叔母には子供がおらず、優しい叔母だったけれど退屈には変わりなく

と言って、私がホームシックにかかることもなかった。

今思うと、大人しいけれど、見方によっては不気味な子供でもあるな。

3週間も子供を預けて、母は何をしたかったのだろうか。

特に予定があったようにも記憶していないけれど

煮詰まっていたのか。

思い出すにつけ、私の育った家庭の歪さにたどり着く。

 

ところで、新聞のアンケートの最後には興味深いことが書かれている。

宿題を最後まで残す人のほうが長時間勤務をする傾向にある、らしい。

わかる。

私は派遣社員で結構忙しく働いていたけれど、残業は全くしなかった。

必ず、時間内に終わらせていた。

だから社員さんからの評価も高かったし、信頼もされていたと自負している。

ダラダラすることが嫌いな性質であること、

そして子供の頃から、誰かが手伝ってくれることを期待できない環境だったこと、

その結果だろう。

長所にもなった訳だ。

でも、心の奥底では、無条件に誰かを頼っていいと思える人のことは

いつまでも羨ましいと思う。

 

 

心は放心状態。

9月にコンテストに応募する予定のキルトが

やっと仕上がった。

前回応募したキルトの一部として作ったものが

やっぱり何となく雰囲気が違うな・・・と没にした。

そのキルトは、没になった部分を新しく作り直して応募したのだっけ。

でも2次予選敗退だったけれどね。

 

今回は、その没になった部分が主役となって生き返ったキルトだ。

自分としては気に入った部分だったので

解くことなく、そのまま取っておいたのが

ある日、ふとアイデアが閃いて、そこからズンズンと縫い始めたのだった。

こういうのって不思議だな、と思う。

勿論、アイデアが閃いた瞬間はすごく嬉しかった。

だって無駄にならなかったのだからね。

 

兎にも角にも、2メートル四方の作品が一応、完了。

あとはまた、リビングで写真をとって応募である。

無事、通過できますように。

 

で、目下、ずっと手にしていた物が離れて

やや放心状態である。

今週はずっと雨なので、家事らしい家事もせずにダラダラしているのに

心がホッと安心し過ぎて、次へとなかなか動かない。

勿体ないなぁ・・・

 

次は1メートル四方のものと、やはり2メートル四方のもの

二つを作る予定。

どちらもアイデアはまとまりつつある。

2メートルの方は、最近まで違うアイデアで少し進めていたのだけれど

ある日、ふっと「これは違う」と感じてしまった。

で、全くテイストの違うイメージが湧いてきてしまって

結局、違うアイデアで行くことにしている。

うぅ~ん、多少なりとも布を裁断し始めていたので

それはちょっと勿体ないのだけれど、

きっとまた、何かで復活するだろう・・・と信じて。

 

心はやや放心状態だけれど

今週末からは怒涛の秋が始まる。

名古屋・大阪・東京・・・お楽しみが沢山!

しばし頭も心も休めて、しっかりと楽しんできましょう!

お得感。

残念ながらケチな方だ。

間口も奥行きもない。

 

昨日、古本屋さんへ行った。

そこは大きな本屋さんの2階。

レンタルCDとか中古のゲームソフト等と一緒に

中古の本も売っている。

特別に種類が多い訳でもないし、安い訳でもないけれど

結構、新しい本が出ていることがあるので覗いてみたのだった。

 

で、昨年発売された単行本を3冊、文庫を3冊買った。

この中で読んでみたかったのは1冊。

後はまぁ好きな作家さんだからという本と

話題になったから、という本を買った。

自分の中での満足度は65%といったところかな。

 

古本を持って、1階の本屋さんも見る。

新刊のコーナーには、読んでみたいなと思う本がずらりと並べてある。

私は新聞の中でも、本の広告が大好きだ。

あぁこの本が読みたい、あの本も読んでみたい・・・

1万円、本に使えるならば・・・と思ってしまう。

5冊は買える。

でもな。。

中古で6冊買って2500円だったしな。。

 

でもな。でもな。

家に帰ってからも、買った本よりも新刊コーナーの本を思い出す。

私が本当に読んでみたかったのは、あそこにあったのだ。

 

2500円あれば、新刊の1冊は買えた。

新刊を買う方がよかったのかな。

 

どうしても「お得感」に弱い。

だからケチだと感じるのだ。

もう年を取ると、以前のように本もスラスラ読めなくなってきたのに。

30代の頃は、 1晩で読み終えることなんてザラにあったのに。

1か月で10冊は読んでいたのに。

それも、あまり興味がなくてもただただ活字を読むことすら

楽しかったのに。

今はなかなか本に集中できない。

1ヵ月に2冊というところか・・・

図書館で10冊ほど借りるけれど、読み切れなくなってきているのに

以前のように借りてしまう。

もう、自分に力量がないことがまだ自覚できていないんだろう。

だから、お得だと思って6冊も買ってしまう。

 

少し、考え方を替えよう。

自分の力量にあった、そして自分のその時の感覚に正直に

本を買うようにしてみようか。

月に新刊を1冊。

2000円。

これなら買える。

お得感に惑わされずに、気持ちをリッチになる。

 

様々な生活の場面で、これまでの習慣を考え直す年齢になってきた。

孤立する老人、か。

昨日、友人からランチのお誘いメールが来た。

ほぼ3か月ぶりか。

以前は1月に一度は会っていたから、ちょっと間が空いた。

 

実は、会いたくない友人だ。

理由は、単純。

私が5月頃に凹んだ事情を知っているからだ。

不肖の息子に関することで、それ以前の様々な出来事も詳しく知っている。

それが今の私には面倒くさい。

 

事実、私は凹んだ。

悩んだし、眠れぬ夜も多々あった。

でも私は、なるべく自分が楽しい事を考えて、自分の人生を生きようと思い

時には無理やりにでも自分を奮い立たせて

時が過ぎるのをじっと待った。

 

きっと友人は事情を知るからこそ、心配もしてくれただろう。

でも今、会って、何を話す?

多分、凹んだ私の状況が話題になるのだろう。

何を考え、何をしているのか、等々エトセトラ。

 

話したくないのだ。

ひたすらに面倒くさい。

だって、心底話したって、100%完全には伝わらない。

彼女が親の介護で悩んでいた時に、沢山話を聞いたけれど

100%は理解できなかった。

それは私には介護の経験がなかったし

そもそも、根っこにある思考が違うからだ。

それでも、聞いてほしいと言われたから、聞いた。

私ならこうする、とは絶対に言わなかった。

彼女はこれが辛いのだな、とただ聞いた。

 

今の私は、自分の不安を聞いてほしいとは思っていない。

どちらかと言えば、楽しいことを話したい。

〇〇が楽しみだな~とか、話題のお店に行ってみる、とか。

でも、彼女とはそういう話は出ない。

この秋、私は偶然にも楽しみにしている事が重なって

本当ならば、それらを話したい。

何を着ていったらいいかな?とかね。

でもきっと、そういう話をすると、「好きなことが沢山あっていいわね」

と言われる。

そして「私にはそんなに好きになれるものがないわ」と言われる。

頑張って私の好きなものを探し、そういう時間を過ごすことで自分を奮い立たせている私の気持ちは届かない。

だから面倒くさい。

彼女の聞きたい話を私はしたくないのだ。

 

私はわがままなんだろう。

せっかく心配してくれる友人を受け付けたくない。

気が強いのだろう。

プライドが高いのか。

孤立する老人、か。

 

結局、メールをいただいてから数時間悩んだ挙句に

夫の通院を理由に断った。

自分の気持ちに素直に従うことにしたのだ。

 

これから関係はどうなるのだろう。

気分を害して、もう連絡してこなくなるかもしれない。

まぁそれならそれで仕方ない。

案外と私が淋しくなって、連絡をとるのかもしれない。

これからのことなんて、誰にもわからない。

 

 

なぜこうなるのか。

酷いあおり運転の犯人が逮捕された。

いつもながら、あぁいう人はいるなぁと思いながらも

この人の何がエネルギーの元なんだろうと考えたり。

でも今回、一番驚いたのはやはり、同じ様に他人を威嚇する女性と一緒だったことだ。

 

破れ鍋に綴蓋?

こういう場合に使う言葉だったっけ?

 

とにかく私には、こういう性格に難ありの二人が

よくも出会ったな、と感心してしまう。

自分が中心で他人に対して威張りまくりたい男と

それをカッコいいと感じて、さらには自分もそれに乗じて威張りたい女。

普通は、出会っても、多くの人はちょっと無理・・・と距離をおくだろう。

TVでは共依存とも説明していたな。

そうなんだろうか。

お互い、寂しいのだろうということだけは想像がつく。

理解されにくかった人生を、あっという間に理解できる関係なんだと思う。

常識や道徳はそこには無いけれどね。

お互いに、得難い人と出会えたのだから、それはそれで幸せなんだろうな。。。

薬物で捕まる男女にも通じるかもね。

 

どうやって、こういう人物が生成されていくのだろうと考えるけれど

勿論、よくはわからない。

ただ、心の奥底に凄まじい恨みや悔しさがあるように感じてならない。

ありのままの自分を認めてもらえなかった記憶や

受け入れてもらえなかった悔しさ。

それらが自己中心的な気質と混ざり合った・・・

逮捕時の様子でも十分わかるけれど、

とにかく自分の主張だけで、他人の言う事は一切聞かずに

問題をすり替えるのが得意なんだろう。

大人になるまでの間に、いや、大人になってからでもいい、

誰かがそれに丁寧に付き合い、間違いを正していたら。

自己中心さの裏側には、酷く抑圧された心も感じるのだが・・・

 

甘かったな。

6月末で夫が完全に退職して、年金生活が始まった。

が、正確にいうと、まだ年金は貰っていない。

今月15日に初めて年金を受け取ることになる。

 

今までずっとサラリーマンだったので、毎月決まった日にお給料が出て

夏冬にはボーナスも出ていた。

25日にお給料が出て、次の月の24日までそのお給料内で生活をするのが

今までの生活だった。

が、新しい生活になってからは、収支がよく把握できない。

 

というのも、6月25日が最後のお給料だった。

これで7月24日まで暮らす、というのが今までの生活。

なので、7月24日までは今まで通りに生活をした。

さて、年金は8月15日だ。

7月25日から8月14日までは持ち出し、という感覚になる。

慣れないことだけれど、仕方ない。

 

で、先日、8月15日に年金が出ますよ~というハガキが届いた。

これをみて、まず思った。

そう、年金というのは先払いではなく、後払いなのだ。

8月に入るのは7月分の年金。

でも、私の感覚では8月15日から9月14日までの生活費である。

次の支給日は10月である。

9月15日から10月14日までは、これまた私の感覚では持ち出し・・・だ。

 

まぁ私の感覚の問題なんだろう、これは。

先払いして、もし死んだとしても、多分返金する遺族は少ないだろうからね。

 

ところがである。

少ない年金から、介護保険料なるものが天引きされていた。

それも結構な金額が。。。

6月まで働いていたから年収が多く、それに従ったものだから仕方ないけれど。

でも、やはりイヤなものだ。

そして、この介護保険料は先払いである。

なんだこれ。

 

今までしっかりと社会保険料を意識しなかった私が悪いのだけれど

全く、結構な金額が引かれていく。

住民税、介護保険料、健康保険料、私の国民年金

他にもかけている保険料もあるし、勿論、光熱費や通信費(これも大きい)もある。

日々の医療費も多い。

外食もせずにちんまりと暮らしているけれど、それでもカツカツだ。

 

 

現役時代の税金を払い終えて、すっきりとするのは来年6月以降だろうか。

いつになったら収支がハッキリして、毎月の予算が立てられるのだろう。

とにかく退職後1年間は、ごちゃごちゃするのだな。

覚悟していたけれど、甘かったな。

 

 

ま、その結果。

世間はお盆休みだそうで。

渋滞情報やら台風情報が流れてくるけど

我が家にはトンと関係ない。

退職した夫と求職中の息子(ヤレヤレ)に私。

嫁いだ娘はお姑さんがやってくるとかで

今回、我が家に来る予定もなし。

渋滞情報を見ながら、クーラーに当たってグウタラすることを

幸せと思おう。

 

とは言うけれど。

秋は忙しくなる。

正式には今月末からだけどね。

 

今月末は息子と名古屋・大阪に出かける。

まぁ色々諸事情あって、二人で出かける訳だ。

求職中なのに・・・という思いも当然ある。

でもまぁ、これは以前から決まっていたことなので。

息子と二人の旅行は名所旧跡には行かないけれど

面白いと感じるツボが似ているから、案外と楽しいのだ。

なので、今回も暑い中楽しんでこよう。

 

9月はライブが2本。

隣県と東京。

10月は舞台が2本。東京と大阪。

それに加えて、応募していたキルトがコンテストで無事に賞を頂いたので

その表彰式でまたまた上京する。

 

どうしてこんな予定になったかと言えば。

実は春に私は滅茶苦茶凹んでいたのだ。

考えても仕方のないことで。

なので、楽しい事を考えたかったのだ。

まずは自分で還暦祝いの一人旅にでかけた。

そして、気になるアーティストを検索してみたら

近くであることがわかって、申し込み。

少ししてから、これまた好きなアーティストのライブが東京であるとわかって

これも申し込んでみたら、当選。

やったぁ!と浮かれていたら

ずっと好きな俳優さんの久しぶりの舞台があるとの情報があって

勿論、これも申し込み。

わぉ、素晴らしい秋だ!と自分で自分を励ましていたら

コンテストにも入賞したという次第。

 

いつも思う。

凹み、落ち込み、悲しみ、悔み、どうしようもない時。

とりあえずは、目の前のことを丁寧にこなす。

そう、本当はずっと愚痴ってずっと泣きたいけれど

とりあえずは日常をこなすのだ。頑張って。

本当に苦しいことは、どんなに言葉を尽くしても、

残念ながら悲しいけれど、誰にも100%は伝わらない。

人はそれぞれ違うから、ズレがあって当然で

でも悲しい時ほど100%理解してほしくなる。

そして、ずれがあって理解されないことに更に悲しくなる。

だから、本当に凹む時は愚痴らない。

それよりも、目の前のことをこなす。

日常をこなす。

そうして、楽しい事を考えるのだ。

自分が楽しい事ってなんだろうか、と。

そして、実行するのだ。楽しいことを。

 

こういう話をすると、残念ながら多くの人に

「自由に行動できて羨ましい」とか言われたりするんだよなぁ。

違うって。

行動したければ、すればいい。

それだけ。

行動しないのは、行動しない方が(行動せずに我慢して摩擦を生まないことに)

自分にとって気持ちがいいから、行動しないことを選択しているだけ。

私はわがままだと言われることも多いけれど

周囲に愚痴を言いながら我慢する私って偉いよね、というオーラは

出さない。

というか、そういう生き方の方が私は自分が気持ちいいとわかってきたので

努力して自分は自分で満たそうと頑張ってる。

 

ま、その結果。

秋は大好きな歌手や俳優さんに逢えるチャンスがこれでもか!というほど

訪れたという訳でして。

こんな秋はそうそうないぞ。

その前に、9月締め切りのコンテストに向けてのキルト作品、無事に完成させなければ。淡々と丁寧に日常をこなさないとね。