Mの独り言

アラカン女性が感じる日常です。

彼女ならどうするだろう。

先月応募したキルトコンテストの通知がやっと届いた。

無事、1次通過。

ほっ。やれやれ。

7月上旬には通知しますよ、とのことだったから

7月に入ってからは、もう毎日ポストを眺めてる日々だった。

10日にも通知が来なかったので、もうこれは落選だと覚悟した。

今回は結構、自信がある作品だったので凹んだ。

イデアが湧いてから、実際に作図してとりかかるまで

あっという間だった。

制作中もとても楽しかった。

だから、自信があったのだけれど、やはり実際に通知を見て

本当に安心した。

いつもの教室のメンバーからの評価ではなく

もっと広い世界からの評価は、シンプルに嬉しい。

結局、キルトを作ることは自分なりの世界観の表現であって

まぁ大袈裟に言えば、作家が本を書いて売れることと同じ(私の中ではね)

誰かが認めてくれることは、とてもとても大きなエネルギーになるのだと

改めて思う。

 

さて、これからはキルトを再点検して

詳しい応募書類を書いて、発送しなければ。

どうか2次も通過ますように!

 

話は変わるが、ずっと友人のことを考えている。

高校時代の友人で、先月、20年ぶりくらいに会った友人だ。

彼女は高校時代の志のとおりに司法試験に合格し、裁判官を務めていた。

もう、私なんか足元にも及ばない偉い人物なんだけれど。

それはさておいて。

子供のことを話している時に彼女が言った言葉が忘れられない。

「頑張っている子供のためにね、せめて好きなご飯や美味しいご飯を食べさせて

応援したい」

勤め始めた彼女の娘さんの労働環境が過酷らしい。

だから、せめて自分にできることとして、おいしいご飯で応援しようと思う、

という母心である。

至極普通な、真っ当な話だけれど、私の胸には突き刺さって忘れられない。

あぁ、彼女ってこういう人だったな、と改めて感じたのだ。

明るくて、前向きで、苦しい時でも凹まなかった。

そして優しかった。

正しいことを正しいと笑顔で周囲に伝えられる人だった。

どれだけ私も励まされただろう。

頑張ろうよ、といつも声をかけてくれた。

いつも笑顔だった。

高校時代、彼女のお父さんは失業中だったとのことだけれど(今回、初めて聞いた)

塾へ行く余裕もない中、彼女なりの工夫で頑張りとおした。

そして、そんな苦労を微塵も感じさせない人だった。

久しぶりに会って、あぁ本当に素敵な人だなと思ったのだ。

こんな人になりたい。

今更ながらに、そう思うのだ。

私の悩みに向き合う時に、彼女ならどうするだろうと

考えるようになった。

明るい彼女なら、優しい彼女なら、凹まない彼女なら、どうするだろう、と。

大袈裟だけれど、私の中の光のような存在だ。

 

悪口ではないのだけれど。

ネガティブな友人もいる。

会うとどうしても、愚痴の聞き役になっている。

私も愚痴を言わない訳ではないけれど

ネガティブな言葉の連続はそれはそれで、くたびれる。

なので最近、私からお誘いすることは滅多になくなった。

それは私が少しくたびれている、という証拠なのかもしれないけれど。