Mの独り言

アラカン女性が感じる日常です。

幸せにはなれない。

 教師同士のいじめには、あまりの幼さに唖然とした。

でも、よくよく思い出して

同じ高校から教育学部へ進学した人たちを考えると

陰湿ないじめの首謀者もいたものな。

先生になる人たちだから、いじめが無いということは

ある意味、無くて当然なのかもしれない。

 

それでも、自分たちの幼すぎるいじめの行動の動画まで撮影する気持ちには

到底、ついてゆけない。

あんた、バカ?

 

いじめについて考える時、いつも思い出すことがある。

それは作家の津村記久子さんが書かれていたこと。

いじめというのは、いじめる対象がいないと成立しない。

いじめる側はいじめる相手がいて、初めていじめる側に立てるわけだ。

ということは、いじめる相手に依存していることと同じ。

誰かがいなければ、その人自身の存在意義は無い訳だ。

常に誰かを探して、誰かに依存しなければ生きてゆけない人。

悲しい人。

40歳にもなって、誰かを探していじめることでしか笑えないって

あまりにバカで虚しい人生だよね。

 

誰かをいじめるって

自分が優位に立ちたいのだよね。

優位に立つって、今の自分がとても不安なんだよね。

まぁ、本質的にいじめが快楽の人もいるだろうけれど

多くの人は、不安が恐怖なんだと思う。

でも誰かがいなければ生きていけないなんて、幸せにはなれない。

というような内容を書かれていたと記憶している。

 

私は至極、その通りだと思ったし

いじめに関して、いじめる側やいじめられる側に立って発言する人が多い中

すごく、論理的ですっと納得できたのだな。

「幸せにはなれない」って強烈だと思う。

歳をとったせいか、もうやり直す時間は短いと自覚するせいか

「地獄行きだ!」と宣告されたような気分になる。

私はね。

だから、先日も軽くマウンティングされたけど

痛くも痒くもなかったよ。

あぁこの人は誰かと比べないと不安になる人だから

幸せにはなれないんだな・・・と思っただけ。

 

それにしてもお粗末。